愛に歳の差なんて関係ない? 本当に私、結婚していいの? 23歳も年下の彼との結婚に迷い続けています。

anrinonikkiの日記

世界一周の前、旅中、そしてその後の気持ちの変化などをつづっています。 嬉しかったこと、楽しかったこと、悲しかったこと、つらかったこと、いろんな思いを書くことによって、これから自分がどうしたら良いのか、どうしたいのかが見えてくる。そしてほぼ毎日見る夢は私に一体何を語っているのかな。。。etc...

お話が心にスッと収まる理由

私は最近、大愚和尚様の一問一答に出会いました。

それからは一人の時は、殆どいつも大愚和尚様の話をyoutubeで聴いています。

 

何となく今の自分に照らし合わせて、この内容が足りないかな、とか、このテーマはたぶん自分が思っていることと同じような処方箋が出されるんだろうな、とか、私と同じ意見だろうな、とか思いながら、ただひたすら聴いています。

 

他の解決方法があるのかと思いながら聞いていると、その期待が外れていたり・・・

そうすると途中で他のテーマに飛んでみたり・・・

 

ただ漠然と、暇つぶしのように、でも何も聞かないよりは少しは私の徳になるだろうと、折り紙を折りながら聞いていました。

 

私が今、必死に、何かに、誰かに助けてほしくて聞いているわけではなく、また一日にとてもたくさんのテーマを聞いているので、こんな気持ちの時はどんな処方箋だったっけ? って思うことが殆どです。全部と言ってもいいかもしれない。

つまり、全然身になっていない。

 

じゃ何で聴いているんだろう?

 

何故かわからないけど、落ち着く。

何故かわからないけど、スーッと心に入る。

 

大愚和尚がすごい人なんだと思いますが、それにもまして大愚和尚を通して、

仏教って凄いんだな。。。 って気が付かされました。

 

こんないい加減な私が、皆さんが本当に生きるか死ぬかで悩んでいることのテーマを、聞いていること自体が失礼なことなのかもしれませんね。すみません。

 

私にはしなければならない事がありますが、それをするのをとても面倒くさいと思っている自分がいます。

それでついついその事を後回しにして、ちょっと先に大愚和尚の話を聞こうかな・・・って、そしてダラダラになり、いいや、明日にしよう。明日は絶対朝から集中して取り組もう。と思ってしまうのです。

 

 

名言集、ってありますね。

私の登録しているメルマガで、その名言集を2週間に1回くらいの割合で発信し、それに対する自分の考えなども交えながらメルマガを書いている人がいます。

 

私は名言集が大好きなんです。うん、そうだよな。分かってはいたことだけど、改めて気付かされるよな。って思うことがたくさんあり、気が引き締まったり、そんなにくよくよしなくていいんだ、って思ったり、気分が晴れたり・・・

 

だから私にとって良いメルマガなのかもしれない、と思ったりするんですが、実は私はそのメルマガを書いている人があまり好きではありません。

 

メルマガも自発的に登録したわけではなく、その人に、メルマガ登録して、って言われて何気なしに登録たメルマガです。

メルマガを登録したときは、とてもフレンドリーな人で、メルマガ登録自体もあまり気乗りはしなかったものの、話の流れであれよあれよという間にその人の前で登録する羽目になってしまったのです。

 

もちろん自分で登録のボタンを押したんだから、だれの責任でもない、自分の責任ですし、嫌だったら登録解除すればいいことなんです。

 

でも私は登録解除ができなかった。その人に、「あぁ、あの人、登録解除したのね・・・」って私のことを悪く思われるのが嫌だったんです。いつも良い人でいたい、って人の目を気にしているんです。自分でも分かっているし、そんな自分が嫌だな、って常々思っています。でもなかなか直すことができないでいる自分も嫌になります。

 

そのメルマガの人はだいぶ高齢の方で、その人を知らずにメルマガだけを読んでいると、良さそうなことを書いているな・・・って感じるのかなって思いますが、何と言ったらいいのか、なんだろう・・・すごく取り繕って良い事を言おう、っていう匂いがプンプンしてくるんです。上から目線の感じがするんですね。それでついつい反発してしまうんですね。

 

でもね、大愚和尚は、実際に言葉では言い表せないほどの大変な修行を積んで、たくさんの仏教の勉強ももちろんしているんだと思います。

そういう方がお話しする言葉って、心に響くものがあるんだな、って感じました。

 

私は添乗員時代に、高〇山の宿坊へ何度か泊まったことがあります。

また、バスドライバーの方から、お坊さん旅行の車内での様子を聞いたこともあります。

私は、かの有名な、高〇山のお坊さんですから、後光を放つ高尚なイメージを持っていました。でも実際にお会いしてみて、すごく俗っぽい雰囲気が漂い、ちょっと幻滅してしまったのを覚えています。

もちろん全てのお坊さんがそうじゃないとは思いますし、お坊さんも人間なんだな、って初めて気が付かされました。

高〇山のお坊さんって、私達が住んでいる世界の事を「下界」って言うんですよ(笑)

私が高〇山に行った時は3月で、山の上はまだまだ寒い季節でした。御朱印を貰いに行った私に、お坊さんはこう尋ねたのです。「下界はもう温かくなりましたか?」って。それを聞いたとき、ここは天上界で私たちの住むところは俗世界だと、上から目線なんだな、って思ってしまいました。まぁ確かに俗世界なんですけどね。

高所から見た低い地帯の事を言ったのかもしれませんしね。

 

そしてお坊さん旅行のバス車内では、なんとも汚い言葉を吐き、お酒を飲んで醜態をさらし、一般会社の旅行では考えられない、見られないほどのうるささ。そして話の内容の下劣さ。

お坊さんもスナックに行くんですね。そうですよね、人間ですもの。

 

だから何を言いたいかというと、私の心の中にあるお坊さんのイメージで、大愚和尚の事も見てしまっていた自分がいたので、全ての事がすんなりと心に入らず、反発する心もあったんです。

 

でもたくさん、たくさん大愚和尚のお話を聞いていく中で、大愚和尚の背景にある、仏教の教えが自然と見えてきて、今まで良いとも悪いとも感じてなかった仏教というものに、とても素晴らしい教えがたくさんあるんだな、って思い、もっと仏教の事を知りたい、と思い始めたのです。

 

そして今日聞いたお悩み相談。「自分を変えていくヒント」本当にそうだな、って思ってしまいました。私もそうなんです。何もできないし、何もないし、ただよく見せようとしているだけだし、これなら負けない、って自分に自信のあるものがない。

「大愚」自体は、なりたくてもなかなかなれるものじゃない、って事はわかっていました。私になどは到底なれるものではないことも、重々わかっています。

 

小鳥や虫などが家の中に入って来て、その入って来た窓からじゃなく、他の所から外に出ようとしている。でもそこにはガラスがあって、何度も何度もガラスにぶち当たって、仕舞には力尽きて倒れてしまう。他から見ればどこから出たらいいかわかるけど、当の本人にはそれがわからない。そこでいつまでもぶち当たってちゃダメなんだ。いつまでもガラスにへばりついていちゃダメなんだ。

結果の出ない頑張りをやって来て、結果の出ない頑張りを続けてちゃダメなんだ。

 

大愚を目指さず、微愚を目指す。

大愚は究極の素直になる。

落ちるところまで落ちる。

 

本当の所、私にはよくわかりません。

でもきっと、以前は分からなかったスペイン語の、とある文法の意味が、勉強を続けていくうちに、「あぁ、この意味はこうだったのか!!」ってわかるのと同じように、突然わかる時が来るんだと思います。勉強を続けていればね・・・