愛に歳の差なんて関係ない? 本当に私、結婚していいの? 23歳も年下の彼との結婚に迷い続けています。

anrinonikkiの日記

世界一周の前、旅中、そしてその後の気持ちの変化などをつづっています。 嬉しかったこと、楽しかったこと、悲しかったこと、つらかったこと、いろんな思いを書くことによって、これから自分がどうしたら良いのか、どうしたいのかが見えてくる。そしてほぼ毎日見る夢は私に一体何を語っているのかな。。。etc...

億劫なことから学ぶ

毎日を穏やかに生きたい。

毎日を楽しくいきたい。

毎日をエキサイティングに生きたい。

毎日、同じことの繰り返しでは飽きてしまう。

 

穏やかに生きたい、と、エキサイティングに生きたい、って矛盾していますね。

私の心の中には時として、矛盾していることが存在します。

 

今日は、そんなのわかっているよ、と思っていたテーマ。

大愚和尚の一問一答の中の

「究極の日常 / 人生で大切なことは、毎日の繰り返しの中にある」

というお話を聴きました。

 

私も子育て中、このお悩み相談の方と、まったく同じような感覚で日々を送っていました。

毎日毎日、食事を作り、洗濯をし、掃除をし、子供の散らかしたおもゃを片付け、食材の買い物に行き、子供を公園で遊ばせ、お風呂を洗い、子供をお風呂に入れ、寝かしつけ・・・

 

自分の時間が全くないな。

子供達が早く大きくならないかな。

自由な時間が欲しいな。

社会に取り残されていく、飲みに行きたい、遊びに行きたい、旅行に行きたい、働きたい、勉強したい、何かをしたい・・・

私の人生、こんなんでいいの?

 

家の中でこんな事していたって、誰にも評価されない、何の活躍にもならない、誰にも感謝されない、何の見返りもない。

嫌な醜い自分がそこにいたんです。

 

そんなことばかり考えていたから、家事なんか楽しいわけがないですね。

子育てなんか楽しいわけがないよね。

 

にもかかわらず、子供が3人出来て、初めて親になれる。

子供が3人いれば小さな社会ができ、いろいろ学ぶことができる。

 

って言う事を本からか、講演会からか、何処からか聞きつけ、それは良い事だ、と思い込み、夫は経済的にも2人で良い、というのを押し切って3人にしました。

 

私は子どもが嫌いなんだと思います。でも子供は3人。

 

これも誰かが言ってたことですが、

「子供は親がいなくても勝手に育つ」

「親がなくても子は育つ」ってことわざがあるように。

 

でもそれは違っていた。

その時は、勝手に育ってくれるんだと、思っていたんだと思います。

この2つの意味合いは、随分と違った意味合いがあるんだと今ならわかります。

 

とにかく今の状態から早く解放されたい、って思う気持ちが大きかった。

だから子育てを楽しむ余裕のある気持ちがなかった。

 

とても悲しい事です。

とても後悔しています。

 

いつも子供達、家族の気持ちじゃなく、他人の目を気にしていた。

他人によく思われたくて、他人には親切にしていた。

 

一番大切なのは、子供達なのに。

一番大切なのは、家族なのに。

 

ただ愛してさえいれば良かったのに。

私が子供に教えることなんて、教えることができる事なんて何もなかったのに。

ただただ愛して、可愛がってさえいれば、教えるべきことというより、伝えるべきことが出てきたんだと思う。

その子の事を思うがゆえの、大切なアドバイスもできたんだと思う。

愛にあふれた素敵な家庭ができたんだと思う。

 

そして今なら、愛することと甘やかすことの違いが分かります。

 

頭ごなしに叱るんじゃなく、何が嫌で、何がしたくて、どうしてこういう事をしたのか等、優しく聞けたんじゃないかと思う。

 

とにかく家の中じゃなく、外にばかり目を向けていた。

 

子供達が少し大きくなると、家事を後回しにして、外で遅くまで働くようになっていた。

 

その頃の子供達、どうしていたんだろう・・・

全然見えてなかったんだなぁ・・・

 

一番楽しいであろう、一番いろんな変化が見える時期であろう、一番私が必要とされている時期であろう、一番愛し愛される時期であろう。

 

そんな大切な時を無駄にしてしまって。

 

本当に ごめんなさい としか言えません。

 

今ならわかります、大愚和尚のお話が、本当に心に響いてきます。

毎日同じことの繰り返しなんですね。

それを一生懸命しながら、いろんなことを学び、いろんな事に気が付き、人間としての深まりと成長に繋がるんですね。

 

本当にそうだと思います。毎日しているから気が付いて改善できることも見えてくる。

変化し続けているのに、自分が変化していることに気が付かない。全てのものが変化し続けているのに。

 

同じことをやっているのに楽しい。究極の毎日がそこにある。

 

仕事とプライベートを分けない。

すること自体を楽しむ。

仕事ができるようになるという事は、毎日の繰り返しの中で、一つの事に集中して工夫したり、何か新しいことを発見したり、そんな中に仕事のヒントが隠れている。

 

毎日の生活の中に、人間の「深まり・高まり・喜び」がある

家事を通じてそのことに気づくべし

 

ただ大愚和尚の話を、その時は「うんそうだ。うんわかった。」って思って聞いていますし、「うん、この気持ちを忘れないようにしよう」とか思うんですが、でも忘れてしまうんですよね。

 

でもね、こうして自分の気持ちを整理して、話の内容を自分なりに要約して、書き留める作業をする事で、少しでも自分の中に取り込めることが出来ると思っています。

この作業は意外と時間がかかり、とりとめもなく昔の事を思い出したり、後悔の念に苛まれたり。

それでも、これは大切で忘れたくない、って事を、自分の言葉にする、って事が私の一番の忘備録です。

 

最後に話し方についてお話しされていました。

 

大愚和尚は「私は決して話し方が上手じゃない。でも私の話がわかりやすいと、面白いと言っていただける方がいるとしたら、そのただ一つの理由は、毎日の仕事を億劫がらずにやる。

お皿洗いなどの毎日の繰り返しをどれだけ意識的にやっているか。それを毎日している人と限りなく同じ感覚で話せる、同じような経験をする事で、話の分かりやすさがあるのではないか。

話し方も上手になりたいというのであれば、毎日の事をぜひぜひやって頂きたい。億劫なら億劫なまましたらいい。

サービスや商品というのはそうして生み出されていくんです。中途半端な資格を取るより、仕事に生かせる。」

というような内容の事を仰っていました。

 

いろんなことを話している相手、相談される相手と同じような経験をしていれば、相手の気持ちが手に取るようにわかる。

経験を多く積んでいる人には深みがあるんですね。

 

もっともっと早くお聴きしたいテーマでした。

大愚和尚様、今日のお話もありがとうございました。