億劫なことから学ぶ
毎日を穏やかに生きたい。
毎日を楽しくいきたい。
毎日をエキサイティングに生きたい。
毎日、同じことの繰り返しでは飽きてしまう。
穏やかに生きたい、と、エキサイティングに生きたい、って矛盾していますね。
私の心の中には時として、矛盾していることが存在します。
今日は、そんなのわかっているよ、と思っていたテーマ。
大愚和尚の一問一答の中の
「究極の日常 / 人生で大切なことは、毎日の繰り返しの中にある」
というお話を聴きました。
私も子育て中、このお悩み相談の方と、まったく同じような感覚で日々を送っていました。
毎日毎日、食事を作り、洗濯をし、掃除をし、子供の散らかしたおもゃを片付け、食材の買い物に行き、子供を公園で遊ばせ、お風呂を洗い、子供をお風呂に入れ、寝かしつけ・・・
自分の時間が全くないな。
子供達が早く大きくならないかな。
自由な時間が欲しいな。
社会に取り残されていく、飲みに行きたい、遊びに行きたい、旅行に行きたい、働きたい、勉強したい、何かをしたい・・・
私の人生、こんなんでいいの?
家の中でこんな事していたって、誰にも評価されない、何の活躍にもならない、誰にも感謝されない、何の見返りもない。
嫌な醜い自分がそこにいたんです。
そんなことばかり考えていたから、家事なんか楽しいわけがないですね。
子育てなんか楽しいわけがないよね。
にもかかわらず、子供が3人出来て、初めて親になれる。
子供が3人いれば小さな社会ができ、いろいろ学ぶことができる。
って言う事を本からか、講演会からか、何処からか聞きつけ、それは良い事だ、と思い込み、夫は経済的にも2人で良い、というのを押し切って3人にしました。
私は子どもが嫌いなんだと思います。でも子供は3人。
これも誰かが言ってたことですが、
「子供は親がいなくても勝手に育つ」
「親がなくても子は育つ」ってことわざがあるように。
でもそれは違っていた。
その時は、勝手に育ってくれるんだと、思っていたんだと思います。
この2つの意味合いは、随分と違った意味合いがあるんだと今ならわかります。
とにかく今の状態から早く解放されたい、って思う気持ちが大きかった。
だから子育てを楽しむ余裕のある気持ちがなかった。
とても悲しい事です。
とても後悔しています。
いつも子供達、家族の気持ちじゃなく、他人の目を気にしていた。
他人によく思われたくて、他人には親切にしていた。
一番大切なのは、子供達なのに。
一番大切なのは、家族なのに。
ただ愛してさえいれば良かったのに。
私が子供に教えることなんて、教えることができる事なんて何もなかったのに。
ただただ愛して、可愛がってさえいれば、教えるべきことというより、伝えるべきことが出てきたんだと思う。
その子の事を思うがゆえの、大切なアドバイスもできたんだと思う。
愛にあふれた素敵な家庭ができたんだと思う。
そして今なら、愛することと甘やかすことの違いが分かります。
頭ごなしに叱るんじゃなく、何が嫌で、何がしたくて、どうしてこういう事をしたのか等、優しく聞けたんじゃないかと思う。
とにかく家の中じゃなく、外にばかり目を向けていた。
子供達が少し大きくなると、家事を後回しにして、外で遅くまで働くようになっていた。
その頃の子供達、どうしていたんだろう・・・
全然見えてなかったんだなぁ・・・
一番楽しいであろう、一番いろんな変化が見える時期であろう、一番私が必要とされている時期であろう、一番愛し愛される時期であろう。
そんな大切な時を無駄にしてしまって。
本当に ごめんなさい としか言えません。
今ならわかります、大愚和尚のお話が、本当に心に響いてきます。
毎日同じことの繰り返しなんですね。
それを一生懸命しながら、いろんなことを学び、いろんな事に気が付き、人間としての深まりと成長に繋がるんですね。
本当にそうだと思います。毎日しているから気が付いて改善できることも見えてくる。
変化し続けているのに、自分が変化していることに気が付かない。全てのものが変化し続けているのに。
同じことをやっているのに楽しい。究極の毎日がそこにある。
仕事とプライベートを分けない。
すること自体を楽しむ。
仕事ができるようになるという事は、毎日の繰り返しの中で、一つの事に集中して工夫したり、何か新しいことを発見したり、そんな中に仕事のヒントが隠れている。
毎日の生活の中に、人間の「深まり・高まり・喜び」がある
家事を通じてそのことに気づくべし
ただ大愚和尚の話を、その時は「うんそうだ。うんわかった。」って思って聞いていますし、「うん、この気持ちを忘れないようにしよう」とか思うんですが、でも忘れてしまうんですよね。
でもね、こうして自分の気持ちを整理して、話の内容を自分なりに要約して、書き留める作業をする事で、少しでも自分の中に取り込めることが出来ると思っています。
この作業は意外と時間がかかり、とりとめもなく昔の事を思い出したり、後悔の念に苛まれたり。
それでも、これは大切で忘れたくない、って事を、自分の言葉にする、って事が私の一番の忘備録です。
最後に話し方についてお話しされていました。
大愚和尚は「私は決して話し方が上手じゃない。でも私の話がわかりやすいと、面白いと言っていただける方がいるとしたら、そのただ一つの理由は、毎日の仕事を億劫がらずにやる。
お皿洗いなどの毎日の繰り返しをどれだけ意識的にやっているか。それを毎日している人と限りなく同じ感覚で話せる、同じような経験をする事で、話の分かりやすさがあるのではないか。
話し方も上手になりたいというのであれば、毎日の事をぜひぜひやって頂きたい。億劫なら億劫なまましたらいい。
サービスや商品というのはそうして生み出されていくんです。中途半端な資格を取るより、仕事に生かせる。」
というような内容の事を仰っていました。
いろんなことを話している相手、相談される相手と同じような経験をしていれば、相手の気持ちが手に取るようにわかる。
経験を多く積んでいる人には深みがあるんですね。
もっともっと早くお聴きしたいテーマでした。
大愚和尚様、今日のお話もありがとうございました。