愛に歳の差なんて関係ない? 本当に私、結婚していいの? 23歳も年下の彼との結婚に迷い続けています。

anrinonikkiの日記

世界一周の前、旅中、そしてその後の気持ちの変化などをつづっています。 嬉しかったこと、楽しかったこと、悲しかったこと、つらかったこと、いろんな思いを書くことによって、これから自分がどうしたら良いのか、どうしたいのかが見えてくる。そしてほぼ毎日見る夢は私に一体何を語っているのかな。。。etc...

メキシコで起業するための第一歩

メキシコでの企業を考え始めてから、1年が経とうとしている。

いろいろ考えて考えて、調べて調べた結果、ジェ◯◯に相談してみることにした。

それで今日アポをとって早速行ってきた。

 

詳しいことは話さなかったけど、ショッピングサイトに関して聞いてみた。

日本から何を輸入したいか、ネットショップに関しては、競合他社がたくさんいて、◯マ◯ンは物流も自社でやっていてコストを抑えている。

近々、日本同様、コンビニでの荷物の受取も出来るようになるようだ。

そこで聞かれたのは、

 

何を売りたいか、

物流はどうするか、

貿易事務はわかるか、

etc...

 

私は全くの初心者で、物流のことはあまり考えてなかったけど、最初はどの会社も小規模からだし、良ければ徐々に大きくなっていく。

みんな大きな会社ばかり例に出して言うけど、小さくても始めなければ大きくはならない。

何もないところからはいきなり大きくなれない。

ジェ◯◯で私の話を聞いてくれた方は、丁寧に、でもやんわりと、「難しいし、大変だし、あなたが思っていることは夢だね。。。もっと調べて考えて勉強してからじゃなきゃ。。。ただのドリーマーじゃなんにもできないよ。。。」

みたいな事を伝えたい感じだった。

私みたいに個人で相談に行く人はあまりいないようだ。

 

そうだよね、ジェ◯◯の方もよく私の相談に乗ってくれたと思って、アドバイスに感謝いたします。

 

コンサルティング会社についてもチラッと聞いてみた。

大手企業はコンサルティング会社を利用せず、自社でそのような人材を採用して進出するらしい。

じゃ山ほどあるコンサルティング会社の顧客は?

中小企業が多いようだ。でも大手コンサルティング会社には、中小企業はあまり依頼しないようだ。金額が高いんだって。

レストランや、ショップなどは、もともとメキシコに基盤があって開業する人ばかりだそうだ。

例えば、駐在員としてメキシコに来て、数年住んで、日本の会社をやめてメキシコでレストランやショップを始めるとか。。。

だから私のようにいきなり来てメキシコで会社設立するのは無謀だと言いたかったに違いない。

会社視察についても聞いてみた。常に視察を受け入れてはいないようだ。

で、どこが主催でやっているかというと、商工会議所などで時々募集するらしい。ジェ◯◯でもやっていると入っていたが、私が個人でというのは難しいようだ。

 

あまりあれこれ聞いたので「本当は何やりたいの?」って思ったに違いない。

 

誰でも簡単に会社設立が出来てうまく行っていたら、みんな会社作るよね。

不安があってなかなか一歩を踏み出せないから、やりたくてもやらない人がたくさんいるんだと思う。

ネガティブなことばかり言われると特にね。そっか。。。無理かな。。。なんて諦めてしまう。

 

でも今、私はメキシコ人との企業を考えているし、日本人だけ、メキシコ人だけじゃ難しいことも、一緒なら出来る事がたくさんある。

ここでも私はラッキーガールだと思って、最初の一歩を踏み出そうと思っている。

 

自分がラッキーだと思うと自然と幸運が舞い込んでくる。

前に勤めていた社長にも、今日相談に乗ってくれた方にも、本当に感謝します。

おかげで益々やる気が出ました! 

がんばります!!

 

 

海外から見た日本はとても素晴らしい

昨夜、ブログを書いている途中で地震警報がなった。

日本では地震警報がなってもすぐに外には飛びでないけど、メキシコは違う。

この前の地震ですぐに外に出なかった私は、大家さんの娘さんにさんざん叱られた(汗)

地震警報とほぼ同時にみんな外へ出てくる。

そしてとっても怖がる。

メキシコの建物はレンガで出来ていて、中に入っている鉄筋も細く少ないような気がする。

それにメキシコシティは湖を埋め立てて街を作った。

だからちょっとの地震でもすぐ崩れる。

 

去年のメキシコ地震の時には、日本からも救助隊が大勢来た。

もちろん他の国からもきたけど、特に日本は大人気。

日本の救助隊は、制服に身を包み、救助現場で黙祷し、それから一生懸命作業する姿は、メキシコ人にとってかっこ良く見えたに違いない。

彼らが日本に帰る時は、多くのメキシコの人々が見送りに来ていて、日本語で「ありがとう」と書いた紙を持って、日本語であ「ありがとう」と何度も言っていた。

私が救助したわけでもないのに、とっても嬉しかったし日本を誇らしく思った。

 

世界中を旅行していると、外国の人には東洋人は皆同じ顔に見えるようで、よく日本人か中国人かを聞かれる。

「日本人」と言うと、彼らの態度がもっとフレンドリーになる。

 

日本のイメージは

きれい

安全

ハイテクノロジー

アニメ、マンガ

ハイクオリティ

礼儀正しい

ロボット

物価が高い

etc...

 

私は、『日本人に生まれただけで私達は超ラッキー』だと思う。

日本に生まれたから世界一周もできる。

新興国に生まれていたら、ちょっとした旅行でも夢のまた夢。

日本円で50,000円程で、2LDKのそこそこの家を借り、光熱費、インターネット、食費含めた生活が出来る。

50,000円程度って言っても現地の人からしたら大金だ。

そんな生活で海外旅行など出来るわけがない。

 

海外に出て初めて知ること、日本にいるとわからないこと、実際に行ってみたらその国のイメージが変わったこと、現地の人と話して思うこと、文化の違いで戸惑うこと、そして外から見た日本がとても素晴らしく思えること、以前にもまして誇りに思うこと。。。

たくさんたくさん見方が変わるし、世界が身近になるし、日本だけじゃなく世界のことを考えるようになる。

私達はもっと日本の外に出て、外国人と触れ合って、広い世界を知るべきじゃないかな。

日本人にしか出来ないことが世界中にはたくさんあると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たくさんの事をやりたくて、でも二兎を追う者一兎をも得ず

これもしたい、あれもしたいと、思うがままに少しずつ手を付けて、焦る気持ちばかりが大きくなって、結局は何もできないでいる自分が歯がゆくて。

 

焦っちゃいけない、色んな事に手を出し過ぎちゃいけない、二兎を追う者一兎をも得ず、だから。

 

結局今日は何も出来ずに、やる気も出ずにシエスタしただけ。

したいことがたくさんあるのに矛盾しているよね。

 

そしてシエスタ中に見た夢は、なんとも怖い夢だった。

 

金縛りにあって身動きできなくて、ーーー

 

って書いている途中で、地震警報!!

メキシコシティではこの1週間で2回

 

 

 

 

 

その日暮しの貧乏だけど、今を楽しむラッキーガール

私達は貧乏です。

私はこんなにお金のない生活は初めてです。

まさにその日暮し。
本当にその日暮しの生活している人っているんだなーってのんきなことを思ってる。

 

でも。。。なんだろう。 あまり困っていないというか、焦ってないというか、
人生の中でこんな時期があってもいいんじゃないかな、なんて思ってる。

そしてそれを楽しんでいる私。

 

確信もないのに、いつか事業が成功して大金持ちになる夢をいつもみている。

確信がないわけではない。事実、私達のプロジェクトは確実に進んでいる。

でも営業したことがない私は、顧客を捕まえられない。

人に頼っても何もならないということを知ったし、頼れない自分もいる。

よく人に頼るのが上手な人がいるけど、私には出来ない。
どうしたら、そんなうまい具合に言えるんだろう。。。といつも考えるけど、
考えたところで何も変わらない。

 

それでも私はいつも思うことがある。

私はすっごいラッキーガールだってこと。

私が求めてやまないことは、ほとんど現実のものとなって私のところにやってくる。

 

就職の時、家を買うとき、パートの仕事を決めるとき、仕事でもしたいことが出来たし、
そして周りにはいつも良い人がいてくれた。だから世界一周も出来た。

 

もうどうにもならない。。。っていうことがあって、すっごく落ち込んだときだって、
それがきっかけで、もっと良い結果になったりした。

 

両親にとって私は自慢の子だったし、私も良い子でいた。

 

1つボタンを掛け違える日が来るまでは。。。

 

私は、高校卒業したら家を出て都会で暮らしたいと思っていた。
それも日本でトップクラスの会社に就職して。

 

大学にも推薦で行きたいと思っていたけど、ウチにはそんなお金は無いことは知っていた。
もし大学に行くなら就職して、自分で稼いで夜間に行くしか無い。

 

そして大手企業の求人を探して、探して、探していた時に、大手都市銀行の求人を見つけた。

大学と違って高校の就職は、学校に求人の募集が来る。
だから私がこの会社を受けたい、って言っても求人募集がなければ受けることが出来ない。
それに先生からの校内推薦も必要だ。

 

その求人は初めて私の学校にきた求人だから、とっても不利で受からないことが多いって先生に言われた。
企業側も毎年取っている学校からの方が、どんな人が来るのかがある程度わかっているので、
ハズレがない、と思っているからだ。

 

でも私は何の根拠もないのに、私は受かる、っていう確信みたいなものがあった。
なんだろう、その感覚。

 

今と同じ。今はどんなに貧乏でも、いずれは、映画に出てくるような、大きなガラスの窓と、広いバルコニーのある大きなうちを海辺に買って、時々友達を招いてパーティーをしたり、海で遊んだり。。。
普段は世界旅行しているから、時々しかその家に帰ってこないけど。なんて勝手に想像したりしている。今は夢だけど、現実になるよ、きっと(笑)

 

だから就職試験もほとんど緊張はなかった。
もちろん初めて、大きくてきれいな会社で試験を受けたわけだから、程良い緊張感はあったけど、ガチガチになることはなかった。

面接も何を聞かれても私なりの応えで、面接官を笑わせた。
そしてどんな仕事をしたいか、って聞かれた時も、大胆にも秘書みたいな仕事をしたい、って。

今考えるとなんともおかしい。その時のことは鮮明に覚えている。
15人位の募集者がいたと思う。その中に、とてもかわいい子がいて、その子とだけ話したのを覚えている。残念ながら次に会社に行った時は、その子はいなかったけど。。。

 

それから約一週間。会社からは合否の音沙汰もなく、先生には「まあ、ダメだったら次があるから心配しなくていいよ」って言われ、でも私は内心、ワクワクしながら会社からの連絡を待ち。。って感じだった。

 

そして内定の連絡がきた時、多分一番ビックリしたのは先生だったのではないかと思う。

母も祖母も、もちろんビックリし、とても喜んでくれた。

そして私がその銀行に内定したことは、小さな私の街のちょっとしたニュースとなり、
時々、祖母にも、母にも、私にもみんなが「おめでとう」って言ってくれた。

そして私は都会で銀行員として働くことになった。

 

そう、今は金銭的にはどん底だけど、プロジェクトは成功するっていう確信があるから、
今を楽しみながら仕事もしっかりして行こう。